いつものように朝が来て、いつの間にかその日が過ぎていく。こんな当たり前の日々がうっとうしかったり、つまらなく思えた頃があった。今思えば、何と罰当たりな思いであったかと思う。何事もなく普通に過ごせることが本当は幸せなのに気付けなかった。
私は一週間に一回は発達遅延や知的障害と闘う人の治療に通っている。診療室に通って来れる人は比較的健康で大きな問題を抱えている人は少ないが、この人達は誰一人として私の呼びかけに反応してくれる人はいないのだ。
数人がかりでなんとか口を開けてもらい、口の中を覗き込む。どの人の歯にもプラーク(歯垢=口の中に住んでいる細菌の塊)がビッタリ張り付いて白く汚れていて、歯なのかプラークなのかわからない人もいる。そのプラークに触った途端、歯肉からブワッと出血し、鼻をつまみたくなるような強烈な臭いが広がる。
何ともやりきれない瞬間だ。それなのにこの患者さんは一瞬の隙を見て逃げようとする。何とかしなければと思うがままならない。
この人達は自分で考え、自分で行動に移すことの出来ない人なのである。誰かが献身的に見るしかない。たまに出会う自分勝手でわがままな人であってもこの人達と比べたら、どんなに聞き分けの良い協力的な人かと思えてきて不平や愚痴を言っている自分が情けない。
それどころか自分で考え、自分で行動できるように生んで、育ててもらえたことがどれほどありがたく、幸せなことなのか感謝が湧いてくる。この人達とめぐり合わなかったら、私はどんな思いで治療をしていたのだろうか。患者さんの思いや望みを真剣に聞くこともなく、心の中の苦しみに耳を傾けることも出来なかったのではないか。
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